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世界と戦争を身近に感じるパリの日常

世界と戦争を身近に感じるパリの日常

世界と戦争を身近に感じるパリの日常

色々な人種、異宗教の人々が住むとてもコスモポリタン、インターナショナルな町パリ。それだけに異文化との接触が日常茶飯事で単一民族の国から来た日本人にはとても刺激的。中東で戦争が起こり、人々や町の様子が変わり戦争を何だか身近に感じられるパリの日常を少し語ります。

アメリカ程ではないとは言え、ユダヤ人の影響を強く受けているフランス。イスラエルとハマスの戦争が始まって以来パリの路地からユダヤ人がぱったりと消えました。ひっそりと目立たずに、慎重に彼らの行動がなったのです。

フランスにおける宗教分類は、まず勿論カトリック系(29%)が多く、その次にイスラム教(10%)、残り10%がプロテスタント系、ユダヤ教、仏教、ギリシャ正教等、そして51%が無宗教、とそこまでユダヤ教が多い訳ではないけれど、アメリカと同じくフランスと言う国自体に常に影響を大きく与え、私自身も彼らにまるで囲まれた生活をしているせいか?彼等の存在自体がかなり大きく感じます。ただ実際はイスラム教徒の方が断然多く、パリ市内を歩けば一目瞭然。

パリ中にいるユダヤ人、特に3、4区のマレ地区、6区、パリ西部16区からブローニュ市やルヴァロワ・ペレ市にかなり多くのユダヤ人が住むのも、これらの地区は割と裕福でセキュリティー上の安心感が得られるからでしょう。

北欧や東欧、又は隣国イタリアよりはずっとそのレベルは低いものの、人種差別国と一般に言われるフランス。やはりその矛先はアラブ人やアフリカ人に向けられている様に感じるけれど、パリにいる多くのアフリカ人はキリスト教である為、やはり異宗教の人種に向けられます。そしてユダヤ人もその対象に。実際、ユダヤ人を嫌うフランス人が多いのも事実。

無宗教やカトリック系のフランス人以外に特にファッショ業界と言うとてもインターナショナルな職業柄、色々な国籍を持つ人々、人種、特にユダヤ系フランス人やアメリカ人、イスラエル人、レバノン人、コンゴ人とかなり多く接触があったこの20数年。無知であった自分にはもしかしたらこんな彼等との出会いが仕事よりも更に興味深く、昔の中東イコール危ない、何てイメージが消え、いつのまにかテルアビブやヨルダンにまで行ってみたいなぁ何て好奇心に掻き立てられる程に。

仕事上で出会ったあるユダヤ系フランス人にはいつかテルアビブで結婚式を挙げる場合には招待して欲しい、とまで言っていたほど。そんな彼はまだ結婚式こそはあげていませんが、当時、君(←私で)にとっての日本が、僕にとってのイスラエルなんだ、と言っており、あぁ、まるで母国と同レベルなのね、と感じたその瞬間。ユダヤ系差別が怖くいつかイスラエルへ移住しようかとも考えている、とも。ただその当時はフランス南西部で仏軍兵二人、そしてユダヤ人学校で生徒や教師がアルジェリア人に射殺されると言う事件(2012年)がまだ記憶に新しい頃で、そんな事を言っていたのかも。

実際、ユダヤ人の多いマレ地区で15年働いた自分。会社があったヴォージュ広場にはシナゴーグがあり、セキュリティー上その周辺だけは車の駐車禁止、車や人を寄せ付けず。数百メートル離れた場所にも又シナゴーグがあり、できるだけその前を通る事を頻繁に当時避けていました。やはりユダヤ系へのアラブ人の行動が怖かったから。。。

そして側、自分が住むブローニュ市もユダヤ人だらけ。息子が通う小学校は生徒の半分以上がユダヤ系。学校の数百メートル先にはユダヤ人学校があり、その学校のすぐ隣にすぐ住む息子と同じ学校の日本人ママからは周辺最近セキュリティーが凄い事になっている、と。

そして今週末からフランスでは丁度2週間の キリスト教のToussaint (トゥッサン、万聖節・諸聖人の日)のヴァカンス。何人もの学校のクラスメートはイスラエルにいるファミリーに会いに行く予定であったのを急遽キャンセルせざるおえなくなったとか。

私自身の自宅の建物のすぐ隣の建物も小さなユダヤ人学校、つまりは完全にユダヤ人地区。それでも勿論数百メートル先には教会もあり、カトリック教徒とユダヤ教徒が交わり共存している地区。よく彼等(ユダヤ系の若者達)は学校前や駅前でグループでたむろっているのが日常茶飯事だったのが、戦争が始まったその日以来皆いなくなってしまいました。。。その変わり様がすごくて。

反面、たまたま今年6ヶ月の期限付き契約で雇ったアシスタントの22歳のフランス人女性。後にアルジェリア人(母親)とレバノン人(父親)のハーフであり(フランスはアメリカと同様出生地主義の為)、何かの話で自分(←彼女)と家族は皆イスラム教徒だ、と。そしてまるで私がジャッジメントしたと感じたのか?あ、でも安心して、私達はオープンだから、と言われました。

とても綺麗な娘で、ファッションと言う同じパッションを共有するには宗教や国籍、どこの国の血統か、などは全く関係なく。ただ、毎日の会話でとても興味深かったのは、イスラエルとレバノンはイスラエルが頻繁に爆弾を送ってくるからとても仲が悪く、へズボラはテロ組織のイメージを持っている人が多いけれど、実際はレバノンを守っている組織なのよ、とか、レバノン料理好きの私がシャワルマチキンサンドイッチを食べていると、シャワルマサンドイッチだけでなく、ファラフェルサンドイッチはイスラエルの料理ではなく、典型的レバノンのサンドイッチなのよ、とも言われ。。。ユダヤ系フランス人に昔ファラフェルサンドイッチ、そしてその美味しいお店を教えてもらい、それ以降イスラエルのサンドイッチと思い込んでいた自分に、そんな風に釘を刺されました。イスラエルと言う国は存在しなかったんだからイスラエルは隣国の料理を真似しただけ、とも。なるほど!何て納得。。。更に、今年の4月のラマダンの時期の事。疲れた、疲れた、毎日言っており、若いのに!こっちの方が疲れてるわよ!何て思っていたある日手に包帯を巻いて出社。どうしたのかと聞けば、骨があちこち痛くて、と言うので骨?すぐに医者にアポをとる様促すと、翌日電話で疲労で腱鞘炎になっていたらしいので病欠に、と。。。腱鞘炎?ってきっとラマダンの期間毎朝5時起き(←祈りのために)、日が沈むまでは(22時以降)日中は水を含む飲食禁止、と言う様な生活を約1ヶ月も続けており、そりゃ何も飲まずに食べずに毎日会社に来て働いていたら体がおかしくなりそうだ、と思い、いくら信仰宗教の為とは言えそこまでしなければいけないのか?と尋ねると、体に害が及ぶ場合には、その規定を緩める事が可能、と言われ一安心、って何故自分が安心したのかはわからないけれど。

又以前も雇った若くて綺麗なポーランド人女性のフランス人の彼の母親が外交官でベイルートのフランス大使館で働いており、爆弾の音が聞こえるのは日常茶飯事だ、とか。

そして子供を通して知り合いになる息子の友達の両親達。もう何ヶ月も前にユダヤ系の父親の誕生日会に呼ばれていくと、勿論ユダヤ系が多く、そこにも色々な異人種が混じっており何故か?ロシア人女性二人と一番話した自分。戦争で母国に簡単に帰国できなくなった彼女達も又大変だなぁと感じたソワレに。

挙げ句の果てに、自分が住む自宅の建物にスラヴ系フランス人が住んでおり、ロシア人と思い込んでいたら、ウクライナ人である事が判明。この家族、ロシア、ウクライナ戦争が始まった後はウクライナからトヨタ自動車で来た親戚だか?家族だか?を住まわせ、彼等は近所に引っ越した様。そして彼等と交流のあった息子の学校のクラスメートのロシア人は学校を辞めどこかへ消えてしまい。。。

又、息子の親友の一人のナニーがアルメニア人であり、航空エンジニアと言う優秀なアルメニア系フランス人と婚約しフランス南西部トゥールーズに彼と引っ越してしまったのですが、当時よくアルメニアの領土はトルコによって侵されている、と話しており、話が大変難しくて。ただ、アルメニアとアゼルバイジャンが戦争状態になり、彼女にメッセージを送ろうと思いつつまだ送っておらず。。。

とまぁ、とにかく非常にコスモポリタンな町パリ。何だか毎日の人々の会話がこんなんで、まず日本のような単一民族国家に生きていたらありえない会話、と言うかとにかくパリに住んで感じるのはそのインターナショナルなレベル。色々な人種、異宗教の人々が交わり、地球のま反対の閉鎖的で世界からしたらちょっとスペシャルな国から来た自分にはあまりに刺激な環境だけれど、それはある意味全ての事を客観的に見ていられるからかも。

ただ、ロシアとウクライナの戦争が始まった当時、そしてクルミア大橋が去年爆発した時にはパリの中心から一気に人々が消え、各パリの商店は大打撃に。そして今又中東で戦争が始まり、その始まったその日からまたしても人々が消え商店は大打撃に。

深く人々の心理や行動をすぐに変えてしまうのがテロや戦争、と言う事があまりにあからさまに見えるパリ。

2015年のパリのテロ後もすぐはパリ中心だけでなく信じられないほど街から人が消え交通機関までもが空になり、そのフランス人の極端な行動にびっくりした程。事実、自分も地下鉄内に怪しい人がいたらそのメトロを降りて次のメトロに乗り換えたりしたもの。

そしてその当時の恐怖心と言うものは今でも残っているのかパリでテラス席で食事をする事も落ち着かなくなった現在。

ここ数日間でもフランス国内あまりに多くの爆弾予告が、各空港、駅、文化施設とあり、とにかくあちこちに軍隊、警察が警戒にあたっており何だか異様な雰囲気に。先週一週間だけでベルサイユ宮殿には7回もの爆弾予告がありその度に訪問観光客は外に皆だされて大変だったとか。

丁度約2週間前に久しぶりに田舎に住む彼の英国人義父宅にランチに行った時、中東の話題になり、この英国人は、パレスチナ人はただの農民でありユダヤ人が今現在の素晴らしい土地にしたんだ、あそこの土地は英国が統治もしていたんだけどね、と。。。何だかこの彼の言い方、典型的西側諸国の上目線からの言い方で不快感を覚えたくらい。そう、イギリスの3枚舌外交が中東情勢を常に不安にしてきた原因の一つでもあり、いや、英国だけでなく、結局世界の情勢不安、混沌は欧米人が過去にしてきた事に由来するのでは、と思う様になったこの頃。

若い時に当時住んでいた姉を訪ねロンドンに行った際、魅力のみの字も感じず関心のない国になっていた英国。その後ネットフリックスでザ クランを見て無関心どころか嫌いになってきており、挙句の果てには不安定な中東情勢にも関わっていたイギリス。そしてアフリカの貧困も全てはヨーロッパ人に起因し、と色々な人種と接する事で掻き立てられてた好奇心に押され色々と調べてみた結果、実は昔から多くのフランス人から君はフランスの悪を知らないから、と言われてきた意味がようやく理解できてきた今日この頃。

戦時下に生きているとまでは言わないけれど、その影響を常に感じるパリでの生活。けれどこうして世界と言うものを身近に感じるこの様な環境に生きているときっと日本、東京での生活はきっと物足りなさを感じてしまうでしょう。