前々回のブルゴーニュ地方を後にし、最終目的地リヨン(Lyon)へ。ボーヌ(Beaune)からリヨンまでは高速で約2時間。リヨンに住む15歳以上年上の彼の異母兄弟に会うのが目的です。私は今回初、彼も今回がたった2回目。
早速リヨン2区の高い丘の頂上に位置する彼女のアパルトマンへ。長年サノフィ(Sanofi)の研究ディレクターであった彼女。フランスでは職業がかなりその人の雰囲気や性格を特徴付けると感じており、きっと地味で真面目でお堅い人だろう、と勝手に想像しながら彼女宅に着くとちょっとびっくり。
アパルトマンの内装がまるでパリのボボ系。このボボとは、パリの10区や11区辺りに住むちょっと気取った?お洒落な?と言ってもボヘミアン、な雰囲気を持つパリジェンヌを指して言う言葉ですが、正にこのボボ的なアパルトマン、そして雰囲気の人でほっ、と。
この梁天井に黄色がよくマッチし開放的で陽気な雰囲気。
キッチンも広々としています。
そして更にちょっとびっくりしたのが、彼女はユダヤ系であると。彼でさえ知らなかったそうです。以前会社がユダヤ人の多いマレ地区にあったり、又業界上ユダヤ人と接する機会が多く、今住んでいる地区もユダヤ人が非常に多く、息子の小学校のクラスの半分もユダヤ系生徒、そして今度はファミリーにもユダヤが、と何だかユダヤと縁があるのかも?何て思ってしまいます。
さて、義姉とその娘さんと一緒にブランチをしながら夕方までおしゃべり。こちら美味しかった手作りトマトタルト。
夕方はソーヌ川を挟んだ正面のコンフルュアンス(La Confluence)博物館周辺をお散歩。
このリヨンの新地区コンフルュアンス(La Confluence)地区には多くの現代建築の建物が立ち並び日本人建築家隈研吾を含む有名建築家がここの都市開発に携わったとか。確かに何だか東京の現代美術館的な雰囲気も感じられます。
と言ってもこの新地区が出来た当初は多くのポレミックを生み出したそうですが、その後は収まったとか。結局古い街並みに突如モダンな物が出現する事はフランス人には受け入れ難いのか?フランス国内、例えばパリの新凱旋門やルーヴル美術館のピラミッドも同じく当時ポレミックを引き起こしたそうですが今では勿論パリの風景にすっかり融合しています。
翌日の朝はパリへ帰る前にフルヴィエールの丘へ。
ノータルダム寺院の左手の広場にあるCafé de Fourviereで朝食にコーヒーとクロワッサン、パンオショコラ、にリヨンのスペシャリティである赤いプラリネブリオッシュ(Brioches aux pralines roses)、を頂きます。全部かなり美味しくパリのそこらのパン屋より断然美味しく。
お隣ノートルダム寺院に入ると日曜日であった為ちょうどミサ中でした。
寺院内に響き渡るコーラスの響きが素晴らしく感動的。
さて、その後丘をちょっと下って行くとリヨンが一番よく一望出来ると言う小さな広場へ。確かにフルヴィエールの丘の頂上からよりも美しくリヨンの街が見えます。
この広場のすぐ近くにある義姉のお勧めのパン屋Boulanger de Saint- Just。もう朝食は済ませていたのこちらで車内用のランチを買い、旧ガローロマン劇場跡を最後訪れてパリへ。
22年以上前にもこうしてこの旧ガローロマン劇場跡地に立っていた自分。
日本を発ち1998年夏から99年夏まで1年過ごしたリヨンの街。自分にとってフランス生活の始まりの拠点でありとてもノスタルジックな街であり住んでいたステュディオや通った大学周辺を散歩したかったのですが、ファミリータイム、と言うことで全く個人的自由時間がなかったのが残念。又いつか。。。